パリに戻ると僕の生活は全く別のものでした。
飛行機でフランスに夕方について、そこからパリへ。パリに戻るのも日本と違ってタクシーのぼったくりやらなんやらで、ああ、パリに戻ったな、と感じたものです。2011年頃から住み始め、途中からパリの条例???みたいなもんでタクシーの代金が右岸、左岸空港からそれぞれ統一料金化されましたが、そんなのお構いなしでしたね。
何事も順調にはいかない。パリの暮らしは全てがチャレンジです。暖房やら水道が壊れてるのを直してもらうにもすぐになんか来ません。建物が100年以上と古いのでどこか次々壊れます。
東京のようにサービスが行き届き何もかもがきちんと進むところではありませんから、花の都パリなんて住むとなると全くの嘘です。
でも、誰も僕のことを知らない、ただのアジア人と言う環境で人間力が試される街は、強烈な魅力がありました。
パリで徐々に友達が増え、少しづつ使える言葉が増え。行く場所も増えた。
10年くらいですかね、それくらい経つとパリに戻ると帰ってきた、と感じるまでになっていました。
時間の流れが、ゆっくりなんです。ヨーロッパは。東京だと仕事で全てが終わります。常に仕事に追いかけられ休むことはありません。でもそれが好きなので全くいまだに問題なしです。でもパリで残業する人はいないし、休むときは皆休む。誰も働かない。みんな今度の休みは何しようかと言う感じ。日本だと休みは疲れて1日中寝ていたいなんて人もいるかもしれませんね。
東京では、僕は東京都のまさに中心エリアに住み、アシスタントたちも一緒に暮らすため広さが300平米あり、とても贅沢ですが、パリではせいぜい1ルームに毛が生えたようなアパートです。ただし、パリの物価は日本の比ではないため、その広さで、でも僕のこだわりでやっぱりパリの中心にあるため結果とんでもない家賃ではありましたが。100年以上の建物は非常に美しく、パリのアパートは古ければ古いほど高く、価値があります。日本と逆です。新築に価値がありますからね。歴史を感じる空間は息を呑むほど美しく、パリのグレイの空と冷たい石畳の底冷えする寒さの空気感の中で部屋に佇むと、その歴史に圧倒され感動して胸が詰まるようでした。パリの僕のアトリエはどこで写真を撮っても絵になった。何もかもが圧倒的な存在感を放ちながらも調和していた。
僕はなんでもピカピカ、新品は嫌いなんです。古いものに味を感じるから。家具も傷ついてもいい。100年もつ家具を大事に使うタイプですから、まさにパリに向いてます。
東京のマンションでは、料理も難しい。IHだからです。ガスではない。IHでは調理中にIHから放たれる電磁音???で頭が痛くなって具合が悪くなるんです。東京のスーパーだってそう。近所のスーパーは、売り場にネズミよけのためなの??か、モスキート音に似た超音波がずっと放出されているらしく、食材をゆっくり選ぶなんて不可能で、ダッシュしてその耳障りな音に苦しみながらパッと買い物して出るのが精一杯。一般の人は全く聞こえない周波数らしいのですが、なぜか僕の耳はそれらすらキャッチしてしまうんです。パリにそんなものはありません。
パリのアパートはいくつか引っ越しましたが、その度に街ゆく人に、ねえ、この辺でパン買うならどこ?と聞いて、教えてもらう。パリの人は「あそこのパンはダメだよ、あそこがいい」と即答で教えてくれました。焼きたてのバゲットの美味しさはそれだけでパリに住む価値があります。
家で作る食事は至ってシンプルでよかった。美味しいフランス産のオリーブオイルと、ゲランドの塩(あちらでは安い)があれば、野菜グリルで焼いてそれらをかけて生ハムとバゲット添えて終わり。だしがわりにトマトを使ってスープを作ったり。
日本ではなんでも揃うけど、パリでは難しい。なければないで何かをするものです。
家を出て、近所のノートルダムパリに夜の散歩。セーヌ川を渡りながら川風に吹かれながら音楽の演奏を一人で聴いたり。友達と夜オペラガルニエの前で待ち合わせして、行くためルーブルを超えてオペラまでささっと歩いて、近くのカフェに。遅くまで友達といろんな話を。パリのライトは全てオレンジの同じ色で統一されているため抜群に雰囲気があって美しい。いろんな色の光が混ざらない。コンビニなどはなく、夜は暗いもの。当たり前の生活がそこにありました。
そのころ僕は髪の毛が腰まであり、華奢でしたがからパリの男性から女性と間違えられ、出歩くたびにナンパされ、こんなにモテる???と言うくらいモテていました。男だとわかってもパリの男は諦めず追いかけてきて、アムールの国だなと実感。僕は残念ながら恋に落ちることは全くありませんでしたが。当時の写真はもう何度もブログに登場してはいますが。


食べて、遊んで、働いて。
パリの人はJ.ノリツグが誰ぞや知りませんから、僕はいろんな場所に出かけていました。クラブで踊りまくるパリの夜もあった。若いわ。
今日のブログは特にオチはなく、ただただ懐かしいパリの暮らしを振り返ってみました。僕の暮らしの大事、や僕の仕事、いろんな意味での僕の原点はパリでの生活でさらに確固たるものになったことはもう間違いありません。
これからのブログでは、ヨーロッパで手に入れたものやこともじっくり紹介して行ければいいなあと思います。
僕のジュエリーブランド、JAY.もこのパリから誕生してるのです。
僕のパリを、どうぞデザミの皆様とご一緒に。



