パリの話

最近、皆様から僕のパリの暮らしをもっと教えて欲しい、というDMをたくさんいただいています。

僕がパリの話を時々しているからでしょうか。

今は、ここ2年、パリにはコロナのため、一度も戻っていないんです。パリ在住、じゃないやろ状態ですが、戻れるようになれば僕はまたすぐパリに戻ります。

2011年から、僕は拠点をパリに移しました。

今からもう10年以上前、になるのですね。

パリは、物価も高く、また色々な意味で厳しい街で、観光に行くのはいいけど住むのはとても大変な街です。でも僕がそれでもパリ、と決めたのは、それを超えて有り余るほどの魅力があったからです。

僕が暮らすのは、パリ市内のど真ん中、パリ市役所のすぐ隣なので、昼間の治安はすこぶるいい場所です。ただし、夜になると状況は変わります。19区、20区などに比べると全然いいですが、やっぱり12時を過ぎて一人で歩くのはできるだけ避けるエリアです。真夜中でも一人で歩ける日本とは訳が違います。それでも、いうてパリのど真ん中、なので、時に一人でセーヌ川付近でぼーっとして襲われそうになったりも何度かある程度でしょうか。

パリの人は京都に似ている、とよく言われますが、それもある意味とても正しいです。観光客ばかりで、ここはフランス?って思うわ、とパリのマダムたちが文句を言いながら歩いてる、なんていうのはいつもの話。

パリの夜は格別です。1つの色に統一された電灯しか許されていないため、ガチャガチャ感がゼロで、統一感がその街並みの美しさを引き立てます。夜には少し危ない街の雰囲気も、さらに美しさに力を与えているようです。石畳の美しい街並みは、優しいオレンジの薄ら明かりに見事に映えます。

パリの街を一人で家に歩いて向かっていると、何百年前の人々の暮らしを、全身で感じられる瞬間なんです。街の彫刻も、ルーブルの建物の脇を通る際も、僕の心はぎゅっと掴まれたまま。冬は特に寒さも加わり、自分の吐く息の白さと夜の闇が醸し出すささやかな演出に心が震えます。人との距離感を嬉しく感じるのも、パリの寒さのせいでしょうか。

夏は、夜になるのが遅いので、ゆっくりと夕日の中で、公園のベンチ(と言っても、明らかにチェアー)に横になりながら、パリの友達とおしゃべりを楽しみます。

夏でも年によっては夜になるとレザージャケットが必要だったり、逆に死ぬほど暑い夏(パリにはクーラーはありません)だったり。毎年同じ顔を絶対に見せないのもパリ。夕刻の美しさは、生まれてよかった、と心から思えるほど。

パリに住んでから、日本で言うところの、フランス料理の特別なディプロマのようなものをもらいに日本の辻調理専門学校の教授たちと一緒に10日間、フランス中の三つ星レストランを回りながら、年に1度だけ開催されるという(それを受ける資格があるのは、フランス料理店で10年以上の勤務経験、もしくは料理長クラスのみ)その試験?のようなものをみんなでレンタカー借りて、フランス国内を巡りながら、受けに行ったりもしました。朝早くから始まるその試験は、フランス料理のアミューズから始まり、デセールまで全て仕上げるため、朝早く始まり終わるのは夜中。今、外で撃ってきましたみたいなうちたてほやほやの鳩を渡され、それを処理するところから始まりました。毛をむしって、お尻から手を入れて内臓を取るところからです。

みんなで無事に終えて、卒業証書、みたいな証明書をもらって、パリに戻ったことも。

僕は、2011年世界の21人のスーパーシェフにも選ばれ、アルゼンチンに国賓として招かれたアジア唯一のシェフでもあります。アルゼンチンでは、連日、ワイン畑を回ったり、国民的テレビ番組の取材を受けたり、新聞や雑誌の取材を受けたり、政府主催のパーティーやイベントへタキシード姿での参加、など、毎日、3回以上衣装替え。ドレスコードが厳しく、本当に目が回るほど忙しかったですが、国が威信をかけたイベントだったので、とにかく何もかもが豪華絢爛。ホテルもアルゼンチン政府が準備してくれたとびきりのホテルで、毎晩、部屋に戻ると、ベッドにはスポンサー企業からたくさんの贈り物が美しいラッピングとともに、美しく積み上げられていました。とてもじゃないけど持ち帰れないので、全て置いて移動しましたが。でも深夜に戻っても、ここから朝の5時頃まで「アフターパーティー」が開かれるため髪を整え直してこれまた僕の十八番のツイードに着替えてまたその別のパーティーへ。部屋に戻るのは朝の5時ごろ。次は朝8時にまた集合です。付き合う秘書も、セキュリティも大変だったと思います。それが連日、続きました。さすがラテンの国は、パーティーが大好き。熱量が違う。世界中から集まった150人のジャーナリストも皆、ラテンの空気でノリノリです。ベッドのプレゼントその周りには、バラの花が散らされて。移動の際は、常に7人のボディガード、が付いて回りました。専属の秘書まで用意してくれて、国がやるイベントのすごさを感じたものです。現地ではパーティやイベント参加のため髪をツヤツヤにブローして華やかなツイード姿や、タキシードスーツ姿でドレスアップしていた僕は、「東洋の美」と呼ばれホッとしました。日本から来た、と皆が知っていたため恥にならぬよう、と思ってたところ、アジアンビューティーだと絶賛されました。海外は謙遜よりも賞賛、の文化なので、僕は堂々と振る舞いました。アルゼンチンはご存知、国土がとても広いので、毎日飛行機でも移動で次の都市へ。日差しが強すぎて大変でした。でも大自然がまさに大自然。素晴らしかった。日本に戻ると様々なメディアが世界の21人のスーパーシェフに招かれたことを記事にしたいと言われましたが、全てお断りしました。目立つのが、嫌だったからです。

全く大きく経歴として発表せずに日本のマスコミの取材も全て断ったのは、僕なりの考えがありました。また僕はそんな肩書きがなくても、十分に仕事が来ていましたから、新規のクライアントを増やす必要も感じていなかった現実もあります。でも一番は、当時日本を完全に離れる準備をしていたので、そっとしておいて欲しかった、というのがあります。日本で仕事を20代で始めた僕は、大手クライアントばかりがスポンサーに並ぶほどに成長し、ついに世界の21人のスーパーシェフのイベントに国を挙げて招かれるまでになったのですから。もう、当時は日本でやりきったな、という満足感もありました。次は世界へ、と考えていたのです。地球の広さを感じた経験でした。

パリに暮らして、僕は静かに、次のステージへの準備を。でも結局、QVCのお仕事など、なかなかクライアントが僕が完全に離れることを良しとはできなかった流れに。あなたなんかいらないわ、と言われるよりは、引き止めていただけるなんて、とても幸せでした。

日本での次のステージとは、J.avec toiなどの化粧品や、サプリメントの展開です。このHSも、パリでどれだけ、悩んだことでしょう。

僕が本当に使うものを、という情熱とともに、世界基準を日本の皆様にお届けしたい、という気持ちがありました。僕が目指したのは日本基準ではなく世界基準。

僕の経験と知識全て導入して、世界で勝負できる商品しかもういらない、作らないと思ったからです。

目指すのは、世界基準。それを徹底してQVCでは追求してきました。

パリの10年で培ったことを、いよいよ日本でもっと魅せてゆく段階が来たと僕は思っています。

人は、自分の生活の範囲内でしか、想像力が働かない、と言います。つまり、人の想像力には限界があって、自分が知る世界の中でしか、新しいものは作れないそうです。すると僕の強みは、想像力が働く範囲が広いと言うところかもしれません。

僕の世界観を、僕の商品やブログを通して、皆様とこれからも共有させてもらえたら素敵です。また同時に、人様の経験や世界観も、僕は知りたいな、聞いて見たいなとも思います。

人の経験や歴史は、僕をとてもワクワクさせてくれます。

なかなか、インスタライブもファンミーティングも、生でお会いすることが難しい中、できる限りのことですが、本来なら、お客様と行くパリ、とか、近くだったらお客様と行く韓国旅、とか、やって見たいなぁと思います。それこそショッピングを超えてゆく、という感じですが。

僕がパリに戻ると、ワクワクします。そこから時に、周りの様々なヨーロッパに向かいますが、ワクワクします。

僕の商品の裏には、物語があります。

その物語には、たくさんの涙や、愛があります。とてもドラマチックなものだったり、心温まるものだったり。今思い出しても、キュンとしたり、ドキドキする愛です。原料生産者の深い愛もあります。僕は生産者の元を訪ねるのも大好きです。いろんな発見もあります。農場など生産者の元を訪れる際は、威圧感のないように、いつもの黒黒ファッションや、ツイードなどではなく、できる限りナチュラルな格好で伺うのも相手に対する敬意です。

冷たくて厳しいパリで、僕が見つけたものも実はたくさんの愛です。パリの朝、水道をひねってその水の冷たさに戸惑いながらも顔を洗って身支度をして仕事へ。誰も僕のことなんか知らないですから、髪もボサボサで出かけて、優しい朝の光を浴びながらいつものカフェに寄ってカフェクレームを。「ボンジュール!アンキャフェラテシルブプレ!」「ボンジュール!デカ?」「ウィ、ジュストアンショット、メッシ」簡単なフランス語で、気分はパリジャンです。いつもいくカフェですから、僕がデカフェ(ノンカフェインのラテ)というのを覚えてくれてたり。他のお客さんよりも優先して作ってくれたり。そんな小さなことがうれしかったり。人とのなんてことないコミュニケーションが、人をこんなに幸せにするのだとも学びました。フランス人のお兄ちゃんがラテとともにくれるウインクも慣れました。

これから僕が日本で魅せてゆくステージは、いよいよその第1章。

世界で培った「ただ優しいだけじゃない愛」を自分の商品や仕事を通してどうこれから出してゆくのか。ワクワクします。

これからの物語は、どうぞ皆様もご一緒に。

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