それは優しい冬の光が穏やかな午後に始まった。
ソファでゴロゴロしながらメールチェックをしていたJ.ノリツグ パベル ホルスト 29、1歳。
このあと少しネトフリで韓国ドラマと思っていた時、携帯が鳴り響いた。
「もしもし?」
「あ、ジェイさん?今暇?」
なわけないやろう。そう即答しようとして現実に引き戻された私は、大人らしく正直に答えた。「今からネトフリ見るの」と。相手は僕のイケメンボーイフレンドの九州男児だ。
「緊急事態です」
「え?」
「お金かしてください。タレントにお使い頼まれたけど、建て替えるお金がなくて。今月もうすでにすごく建て替えていてお金ない」
「????? え? ちょっと待って、仮払いしてもらえばいいじゃん、会社に」
「できないです、そんなこと言えない」
?????
なんでやねん。
「いくらの買い物?」
「しゃぶしゃぶセットとか、1万円くらい」
???? 「そのタレントに先にお金もらえば?」
「そんなこと言えません」
やはりこの子は優しすぎるというか遠慮しいというかなんというか。
「もう!じゃ、取りにおいで」
「車ないんで、行けないです」
はあああああ????
「僕にもってこいと?」体操服忘れて持っていくおかんかよ。
「銀座に来てください。すいません」
ええええ。でも、仕方ない。惚れた弱みである。
「あと30分くらいかかるけど、それでもいい?」
「はーい!」
「じゃ、松屋銀座で待ってて」
事件はここから始まったのだ。
唐突であるが、グッチ、とディオール、をご存知であろうか?
グッチはケリングを親会社とし、ディオールはLVMH、ルイヴィトングループを親会社とする。ケリングとヴィトングループは犬猿の仲、というか明らかなライバルグループである。
グッチは最近、同じくケリングを親会社とするバレンシアガ、もしくはライバル関係にはなりえないノースフェイスなどと次々にコラボを展開してなんとか鮮度を保とうとしているイタリアのブランドである。
繰り返すが、ケリングとヴィトングループのコラボ、などほとんど考えられない話である。犬猿の仲どころじゃないのだ。
ましてや、お互いの看板ブランドであるグッチと、ディオールのコラボなんて絶対にありえないと言ってよかろう。
が。
が、である。
私は見てはいけないものを、見てしまったのだ。
イケメン九州男児にお金を渡した後、アトリエに戻ろうと歩き出した時だった。突然、ナチュラルローソンから女性が飛び出して来たのだ。そして私の目は釘付けに。
女性にではない、その女性の持っていたカバン、にだ。
歳は20代前半であろうか、フィリピンの女性だと思われた。
その方のバッグが、なんと。なんと!!!
グッチとディオールのコラボではあるまいか!!!!!もちろん、100%モロ偽物である!!
そんなコラボがあるわけなかろうが!!!
グッチのシグニチャーである GGマークのモノグラムとでも言えるべき代表的なあの柄の生地で作られた、あろうことかディオールを代表するバッグの一つであるあの大きなDバックルのついたサドルバッグではないか!!!!
つまりディオールのどでかいDバックルのついたあのサドルバッグが、グッチのモノグラム生地で作られているのである!!!
グッチとバレンシアガ、のコラボを意識したのであろう。パッと見た目完璧グッチで、でもよく見るとバレンシアガのロゴだった、みたいな。でもこれは、話が違う。
グッチとディオールのコラボ!!!! バチモンにもほどがある!!!しかも、斬新すぎる!!!
私の目は、クギ付けに。いけない見てはいけない、抑えきれない理性と本能の格闘である。
すごい・・・・すごすぎる・・・。ちびりそう!
彼女の自信に満ちたあの立ち振る舞い。完璧である。
彼女のあのアバンギャルド極まりないファッションアイコンもひれ伏すようなあの姿勢。
グッチのモノグラムの上でゆらゆらと優雅に揺れるディオールのどでかいDバックルの迫力ある存在感。
かっこいい・・・・。かっこよすぎる!!!
なんちゃって、のネタ商品ではないのである。完璧に人を騙そうという気100パーセントの本物の顔しようとしてるバリバリのバチもんである。中国も韓国もこれにはひれ伏すしかないくらい、バチもんである。
おそらく、知識のない、にわかファッショニスタ、にはコラボが流行りまくってる&コラボやりまくってるグッチであるこのご時世、普通にこの衝撃に「お、グッチとディオールのコラボ!!!」と羨望の眼差しを向けるのかもしれない。つまりバチもんとさえ、気がつかない。
ファッション関係者にはもちろんドン引きの衝撃以上の衝撃を与えるほどの案件である。ケリングとヴィトングループがこのバッグの存在を知ったら、目の色を変えるであろう。
これは・・・・・
すごい!!!!!
私はあまりの衝撃に、クラクラした。
これはもう、バチモンの枠を飛び越えた、ある意味新しい何か、である。
僕にはその「何か」がもはや何かわからないが、震えが止まらないのだ。
バッコバッコと、ディオール(もどき)のDバックルをなびかせながら颯爽と歩き去ったあの女性。
取り残された私は、完全に抜け殻と化していた。
負けた・・・・。
J.ノリツグ パベル ホルストが負けたのだ。
しかも完敗である。
いや、ちょっと待て。
彼女は、銀座大通りの方に向けて歩き去った。
・・・。まさか・・・・・。
銀座には、ディオールも、グッチもある。
まさか彼女は、まさか彼女は・・・
お店に入る???!!
彼女はおそらくグッチとディオールのコラボなど存在しない、ということを知らないのだ!
あの自信たっぷりの勇姿を、粉々に砕いてしまうであろうショップが、銀座にはある!!
守ってあげないと!!!彼女を守るのだ!
慌てて逆方向へと走り出したJ.ノリツグ パベル ホルスト 。
間に合ってくれ・・・・。
ドキドキが止まらないまま、ただひたすらに追いかける。
冬の柔らかな日差しが、いつしか冷たい空気を纏い始めていた今日の午後。
のちに日本中を驚きと恐怖に包み込んだこの事件は、発生したのだ。