よく僕の暮らし、のご質問をいただくのですが、東京のアトリエ、普通の暮らしです。
特にスタイリッシュなデザイナー建築、とかに住んでるというわけではもうなくて、今はほんと普通の賃貸マンションです。
もちろん、アトリエの部分は広さが必要なので、普通の賃貸、といいながら一般的に広い、とされると思いますが、そうは言えど所詮賃貸。昔から、僕はずっとひたすら賃貸。今後も所有する気などありません。地震があるだろうし、また僕は常に身軽でいたいのです。
そう、僕の暮らしは、そもそもとてもシンプルです。そもそも物の数が異様に少ない。
ただし、厳選したそれぞれの家具はヨーロッパのもので、大きさがあるため、貧弱な暮らしには絶対に見えない。オンエアでも繰り返してますが、シンプルは贅沢、でなければ、ただの貧弱になります。シンプルであるなら、相当極めていないと巷で流行りの断捨離、とかミニマリスト、という薄っぺらい大変貧弱な自己満足の世界に小さく収まってしまうことに。
そんなことをしていては僕の仕事はできません。自己満でちまっとしてる人間がプロデュースなど手がけてはいけないのです。そのレベルの商品しか作れなくなりますから。
僕の暮らし、はそのまま僕の仕事に直結しています。常に、です。新しい衣食住の提案をすることを仕事に選んだ僕は、この25年間それは徹底して守って来た認識です。
人となり、がわかる商品開発を。 僕はここは絶対に譲らないところです。ここを譲ってしまうと、僕には仕事が来なくなってしまうでしょう。誰でもできる商品開発や仕事をやってるわけではないのです。
だから僕の暮らしは、一言で言えばシンプルだけど贅沢だと思います。
もちろんアシスタントも住まわせていますから、物が増えています、今まで僕が経験したことないくらいたくさん。子供がいるとこうなる、と言えばわかるでしょうか?ほんとそんな感じ。
「そんな安っぽいベッドうちに入れるな」「何そのチープなドアのデコレーション?なんで自分の名前ドアにつけるのさ?そんなのいる?安っぽい」「こんなにスキンケア道具いる??女子かよ?乙女かよ」「なんだよこのスポンジブサイクな色。こんなのアトリエの浴槽に置くな!」とか最初は口すっぱく言っていたのですが、今はもう諦めて好きにさせています。
よく寝室が見たい、と言われますが、僕の寝室はベッドしか、ありません。大好きなスタンドライトが2つ、あるだけ。
ベッドは大きなサイズです。でも、今年も羽毛布団を買うのが嫌で(夏になると邪魔になるから)頂き物のシングルサイズのぺらぺらの毛布を2枚、僕の好きなキャメルの毛布の上に乗せて寝てるだけ。大きなサイズのベッドですが、シングルの毛布2枚、です。
見た目もブッサイクだし、ビンボくさいし、これでも少し寒いし、いいことないので、ならいっそ買えばいいじゃん、と思われそうですが、いいものがあれば買います。でもその僕がいいな、と思えるものがないので、買えないのです。
家に噴水があるとか、ゴージャスな羽毛に包まれて寝てるであろうと人様に勝手に想像されてる僕ですが、いいえ、実際はこうです。
いいと言われる羽毛布団も過去に何度か買いましたが、数日で人に差し上げました。暖かすぎて、とてもじゃないけど僕はダメ。どの国の羽毛だろうが、どのブランドだろうが、結局どこもダメ。そもそもダサいピンクやブルーの花柄とかほんとそれもやめて。昭和かよ。じゃあ、もういいや、と安い羽毛布団たちにすると、寒かったり匂いが。何枚トライして失敗したことでしょうか。枕も同じ。
ジャストがない。日本市場に、ないんです。ヨーロッパだとすぐに見つかるのに。
キャメルの毛布、は大昔にショップチャンネルで買ったものですが、とてもいい。通販にしてはなかなかの値段だったと記憶してますが、大きなベッドサイズでも使える十分な大きさと、キャメル100パーセントというしっかりした作りでしたから即決大正解、また値段も納得。
もう何年も使ってますほぼ1年中。
こんな商品が欲しいのです。無理に安く作らなくていい、贅沢な素材は贅沢にしっかりと使わないと商品が結局死ぬのです。
安く売るために作った商品にろくなことはありません。
しっかり作り込んで、原価をしっかりかけた結果値段がしても、それは納得できるなら全然いいんです。
僕は、納得できる寝具が見つかるまでは、妥協して買わずに、今あるものを徹底的に活用して、その「いいもの」を手に入れることを待ちます。
そのいいものがあまりに出て来なかったら、いつか僕が作ってしまうかもしれません。
そうやって、なかったから僕自分で作りました、という僕のシンプルな商品が爆発的に支持をいただく商品となっている現実。
僕が暮らしに求めているのは、見た目のゴージャスさや豪華さではなくて、もっと本質的な豊かさです。
シンプルだけど、とびっきり贅沢。
それは決してショールームのような冷たいものではなく、デザイナーによるクールでひたすら格好い伽済まされた美しい空間に暮らすわけではなく。
突き詰めた本質的な豊かさの満ちる空間で暮らしたい。
明日は、僕の誕生日。いよいよJ.ノリツグ パベル ホルスト も29、1歳になります。
30を目前にすると、やっぱり少し、価値観が変わるものですね。
昔は、デザイナーズ建築だけを選んでいた時代もありました。壁がなくて、全部ガラスだったり。部屋に斜めにコンクリート打ちっ放しの柱が走っていて、カメラマンさんがよくぶつかったり。お風呂も全部ガラス張り、で外から丸見えなため、編集者にラブホですと笑われたり。お風呂や場洗面所が全て床がデザイン優先の木製、だったため当然カビるので数ヶ月に一度全部取り替えないといけないというありえない物件に住んでいたこともありました。
数十年前の若気の至りといえばまさにその通りでしたが、その経験を経て、今の自分があると思うと、大正解だったと思えます。
経験してこそわかること、比べられることがあるんです。
普通の暮らしを、普通に送れることはある意味「奇跡」だとすら僕はいろんな経験上、本当にそう思います。
もっと上を望もうが、それはご本人の自由です。
ただ、普通の暮らしを普通に送れる、ことの奇跡だけは、忘れないで欲しいと思います。
満たされずに苦しむのか、満たされて過ごす工夫に走るのか、それはご本人の自由。
選択権は常に「自分」
暮らしとは、やっぱり「自分が」作っているものなのです。
いかようにでもプロデュース、してくださいね。
自分の暮らしを愛する努力を重ねることは暮らしの大事の第一歩。
ないないない、って言ってたらきっと一生ないないないで終わってしまう。それよりも、今あるものを見つめてくださいね。
