僕の商品以外で、僕が愛用しているものを色々と教えて欲しいと言うメッセージを最近もいくつかいただいてます。
そんな本を出して欲しい、と言うようなものも昔からよくいただいてましたね。以前のオフィシャルサイトでは、モノがたり、としていくつか紹介もしていました。データ全部消えたけど。
確かに誰かの愛用品、っていろんな角度から見えて面白いものだと思います。も一回やろ。
じゃ、僕の愛用品としてブログで紹介するに、何が一番いいやろか、と考えた挙句、毎日使うもの、から絞り込みました。それも、自分のプロデュースする商品以外、で。最初に言っておきますが、僕はブランドに強い興味はありません。タレントさんたちがやってるブランド品自慢、みたいなていでは全くないです。くだらない。そんなもの20代前半で僕はとっくに卒業しているので、紹介する商品のブランドがどこか、は全く気にしないでください。僕がものを選ぶ基準は、どのブランドか、高い安い、じゃなくて、ズバリのその品質です。どのブランドかなど全く関係なく、クオリティの高い使い勝手のいいものだけが、結局僕の愛用品となります。ですので、どのお店の商品かのコメントもなく失礼します。
毎日絶対使うもので、僕の商品以外で、僕が溺愛してて、愛用品と言えるもの。第一弾。
それは、靴べらです!じゃあああああん。

いつも持ち歩いてます。仕事の時も、ホテル宿泊も、qvcにも持っていきます。大きく見えるけど、一番小さいサイズだと思います。
木製なのか、なんなのかわかりませんが、肌にしっとりと馴染んで、鉄製やプラスチック製とぜんぜん違う質感。専用の袋に入っているので持ち運びも便利で、大きさもちょうどいい。自分のバッグに入っていてもブサイクでない美しいデザインも気に入ってずっと使っています。
僕は、若い頃は靴って消耗品、みたいに思っていた時代があるんです。たとえどんな高級ブランド品だって、僕には痛い。こんなの履き続けるの無理やん、と。また革靴は痛いもの。1週間くらいは絆創膏のお世話になりながら靴づれと戦いながら血を流して皮が慣れるまで待つのが当たり前、くらいに思ってました。で、履き古したら新しいもの。もともとほかのアイテムに関しては何度もなんども修理して使い続ける、だったのに、靴だけはダメだ僕の足にはどれも消耗品、と割り切っていた時期があったのです。それが大きな過ちだとほどなく気がついたのですが。
とある一足の靴との出会いが、そう変えたのです。もともとは、20代の僕には「おじさんの靴じゃん」と思ってたお店でした。
でも履いたその日から嘘みたいに自分の足。革靴だけど、第二の皮膚?くらいに馴染んでどこも痛くもない。次の日お店に全く同じものをまた買い求めに戻った記憶があります。
以来僕は、靴を丁寧に扱うようになりました。底が減ったら、すぐに修理。定期的に磨いてもらいながら、ずっとずっと履き続けています。
プロのメンテナンスだけじゃなく、日々の扱い方も大事。無理やり足をねじ込むと靴は痛むので、靴べらが欠かせません。
20代若き僕の靴の概念を変えさせたお店で見かけたこの靴べら。
いい靴べらが欲しいなと思っていた僕にはぴったりでした。でも家に好きな靴べらがあったので、それなりの値段もするし、最初は人への贈り物で何本か買っている感じでした。
そのうちふと、僕は贈り物で使ってるけど、僕自身が使用感を知らない。それでええんかい?と思うように。食品なら自分が食べて「おいしい!」と思うものを贈り物にするくせに、物となるとそうなん??と思い、家に靴べらがあるのに買いました。これって僕には非常に珍しいことで、僕は昔から極端にものが増えるのを嫌うため、一つあればいいものは1つでいい、主義だからです。
買って大正解。もともとあった靴べらは処分してしまいました。
だってもう、これでいいんだもん。もう一生靴べらを買うこともないでしょう。
いいものを手に入れると、もう他を探さなくて済むので、時間も労力も何よりお金も節約できます。
いいものをずっと使えば、結局はお得のまたお得。妥協して買うと、結局あっちがよかった、で延々買い直すことになる。
この靴べらは間違いなく僕が買ってよかった、と思う僕の愛用品です。
人って、大切なものは、大切に扱うのです。
人って、高価なものを大切に扱う、というのもあります。僕は別に高価だ高価じゃないからと言って気に入ってるものの扱いは全く変わりませんが。僕がもし女性なら、誰よりも高価な女になると努力するでしょう。周りに大事にされたいから。ブランド品で着飾るだけの女性ではなく、知性や教養を身につけるという意味ですが。
だからもし、彼氏や仕事で人に、自分が大切に扱われていないな、と感じたらそれはほんとに大切にされてなんかいない、ということ。一刻も早く離れることです。
逆に、大切だと思えるなら、また大切にされていると感じるなら、一生添い遂げることもできる。
愛用品というのも、そうゆうものでありたい。
そうゆうある種の覚悟、というのをモノの場合は「値段」で試されているのかもしれないですね。
だからと言って、買えないものを無理して借金までして買えという話ではありません。
そして本当に愛用し使い続けた時、ものはその人なりを表す、とも言われます。
僕の愛用のジャケットがハンガーに掛かっていたのを、カメラマンさんが見て「その服ハンガーにかかっていてもジェイさんの顔してる」と言ったことがあります。
僕の愛用してるものは多分みんなそうだと思います。使い込まれて、もう僕の顔してる。
数は少なくていいから、僕にとって一番いいものを。僕のモノがたりはいつもここから。本物しか僕はいらない。自分の所に来たものを生かしきるためにも数はいらないんです。本物だけを僕にとってのとびっきりだけでいい。それを徹底的に愛して大切に使い倒すから。
自分のプロデュースだろうが、人様の作品であろうが、1度きりの僕の人生は全てそうありたいと思います。