暮らしのダイエット

世の中は「断捨離」関連の本で未だ溢れています。コロナ時期だからでしょうか。皆家で断捨離するいい機会なのかもしれませんが。

僕は前から言っていますが、自称ミニマリストが嫌いです。ミニマリスト関連の本を店頭で立ち読みしても皆「同じ概念の焼き回し」ネットや、他のミニマリストに学んだ情報をそのまま自分の言葉に変えて提案してるに過ぎません。

シンプルは本来贅沢であるべきですが、ミニマリストが見せる世界は「諦め」にしか映らないのが気になるのです。プロのカメラマンが撮影してやっと美しく見せられる空間は、リアルに見ると貧弱だったりするのですから。

人生に何か疲れて、辛いことがあって逃げの手段に選ぶのが断捨離やミニマリスト、であることはとても変です。そのミニマリストであることを必死で「幸せ」と思い込もうと、自分を納得させようと必死であることも読み取れるのも、見ていて痛々しく感じます。

これらの理由からも、僕はミニマリストが嫌いです。ミニマリストと言いながら実際は金儲け、なんていうパターンもかなりあると思います。

胡散臭いので僕は一切、それ系統の書籍の依頼を受けたことがありません。僕は書かない。

暮らしのダイエット、として無駄を省くことはとてもいいと思います。一度自分の暮らしを見直して、何が必要で何が無駄か、を見極めることはとても有意義だと思うからです。捨てる快感を覚え、捨てるのが目的なり、次何を捨てようかな、なんてミニマリストがハマる病気にハマってるのは問題です。

捨てるよりも生かす。捨てるよりも、

我々の人生はものも人も時間も絶対に限りがあるのですから。無駄なものを抱えてる場合じゃありません。

だからと言って捨てて捨てて捨てて、自称ミニマリスト、傍目にはただの貧弱な暮らしを送る必要もありません。

見極めが肝心。

僕の暮らしは、仕事柄というよりももともと衣食住に異常にこだわるためもともとかなりダイエットはされています。ショールーム見たいとか、生活感がないとかよく言われたタイプですね。

でもそんな僕でも、今は若いアシスタントが一緒に住んでいたりするのでそうするともう、どう転んでも過去の「ものが全くない」と言われるような暮らしができないんです。ほっといてもものがある。

女子力ありまくりのアシスタントなので、棚には基礎化粧品類がドッッサリ。「乙女かよ」の僕のツッコミもどこ吹く風。僕が「香害」と言ってる洗濯柔軟剤も何種類も何本もあるような感じ。気がつけば食器棚にはろくに使いもしないのに「インスタ映えする」という食器類が増え、仕事の物置の部屋には自分の部屋に置ききれないアシスタントの私物が日増しに増える、みたいな。

子供がいるご家庭ならわかると思うのですが、まさにそんな感じ。

ものが一気に増えるアシスタントとの暮らしですが、ものが増えるに比例して、楽しさも増えるんです。

悪いことだけじゃない。

どちらがいいのか、を見極めると、僕はものが増えてしまおうが、アシスタントとの暮らしを今は選びます。

若い子の感覚や状況を学べる機械でもあるのです。

この機会を生かして、何かを学べるということ、これは悪くない。

人と知り合ったら、きちっと向き合う。大事にする。

ものを買ったら、とことん使いこなす。

人もものも環境も生かしていく暮らしこそが僕にとっての理想であり、その選択こそが暮らしのダイエット。どうでもいい人は本当にいらないし、可もなく不可もなくのものなんか絶対にいらない。

数は少なくても結構。大好きな人たちと付き合い、大好きなものに囲まれて気持ち豊かに暮らすこと。財布の中が豊か、も結構ですが、気持ちが豊かに暮らすのに大金は必要ありません。いいものも、中古で手頃に探せる時代です。

たくさんある情報や商品の中、たくさんいる人の中から本物を選びとって行くこと。捨てるよりも、本物を早く知ること。

それが暮らしのダイエット。

自分にとって最高のものを最初から持っていれば、他のものがいらなくなります。

間に合わせのものを持ってしまうと、結局もっといいものを買い直すことになる。時間もお金も無駄です。

捨てる力より、今必要なのは見極める力。

僕の暮らしは、僕の幸せは、断捨離、捨てる力で作られたりしません。

見極めた結果、の上に常に成り立っているのです。

最小のものの数でちまちま暮らすより、いいものに最大限に囲まれて暮らしたい。いいものって、とにかくあまりないので、結果として「数はない」になるんですけどね。

ものは捨てるとゴミになります。自分だけが「捨てて(一時的に)スッキリ」ミニマリスト万歳なんて自己中にはなりたくないので。

僕はめっちゃ気を使います。ものを買うときも。捨てたくないから。生かすこと、ずっと手入れしながら添え遂げること。

いいものって、愛が溢れてくるもの。

断捨離、なんて冷たい響と漢字は本当に嫌い。

その文字そこに愛を感じないから。

世捨て人がつけた言葉だと思う。そこに共感し流行る世界も心配になるけど。みんなが少しづつ病んでいる。

断捨離の裏でその言葉を使って儲けてる連中がいるのにも気がつかず。

色々あって、愛が足らない世の中になって来てるのかもしれません。僕はひたすら愛のあるものつくり、追求して行きます。

捨てられないわこれ。やめられないわこれ。これが私の人生の定番。

そう言ってもらえるように。

これがあれば他いらないし、と結果暮らしのダイエットになっていますように。

僕は概念を切り売りするのではなく、そのものズバリ、を魅(見)せてゆきます。

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