僕のアトリエのインテリアを見たいと言うお声をいただきますライターさんたちから。
お見せするほどのものですがぷぷ、基本前のアトリエからそのまま持って来ただけなので全く変わりありません。変わったのは配置の仕方だけ。何も新しいものはありません。
言葉にすると、贅沢なシンプル、と言う感じでしょうか。ものが多いわけではないし、昔の家具そのまま大切に使っているので奇はてらってないのですが、それぞれの家具の経年による風格と味わいが出てきて、とてもいい感じに「落ち着いている」のです。
単なるシンプルってすごく僕は嫌いなんです。シンプルイコール贅沢、であるべきだとずっと思って生きてきたので。シンプルが一番難しいんです。それを簡単に「シンプル」な暮らしって安易に言い過ぎ!!!!
市場に溢れるシンプル主義とかシンプルな暮らし提案には正直うんざりしています。
写真に映る部分だけうまく切り取ってもダメです。生活にはリアルな生活の使いやすさや何より「落ち着き」が必要です。写真の中だけで映えるようなシンプルな暮らし、はひたすら貧弱に見えるのです。シンプルには厚みと奥行きが必要。
何もない空間に美を見出すのがアジア。空間があれば飾るのが西洋の文化。
違いはあれど、絶対的な「美」に違いはありません。
そしてその美の基準は自分で決めること。
そのためにも、絶対的な美をたくさんたくさん見ておくこと、はとても役に立ちます。
僕の東京のアトリエは、世界中で見てきた触れてきた僕の歴史がそのまま、反映されています。前の東京のアトリエは「スイスのおじいちゃんの部屋」がテーマでした。今回は少しだけ若返って、東京に連れてこられたおじいちゃん笑笑
インテリアは高価なものでなくていいのです。歴史が感じられるなら、中古で素敵な家具もたくさんあります。1万円で新品のイケアを買うよりも1万円で中古家具。
若い子だったら、イケアは全然ありですが。ある程度でそこは卒業するべきです。
古くなったら、傷んだらゴミになる家具を家具とは呼びません。
イケアの家具は、引越し業者も組み立てを拒否するそうですね。何度か組み立てしてると、穴が広がってもう組み立てられなくなるから、と業者さんに教えてもらいました。僕の家にはイケアは一つもありません。イケアで大好きだったのは、グレーのスポンジ!台所で使うものですが、イケアのあのグレーのスポンジは大好きで、プラハでまとめ買いして買ってきた記憶があります。とてもクールでした。今もあったらまた欲しい。
アシスタントは、自分の部屋にやっぱりイケアを入れようとするんですね。ベッドも新品でネットでどこのかもわからない五千円くらいの買うとか言うから全力で阻止しました。それはすぐにゴミになる。そんなものうちには絶対置かせません。
「5千円でも高いじゃない、ジェイさん感覚が違う」ともしかしたら言われてしまうかも、ですが、商品をプロデュースしてる人間としてやっぱりわかる部分があるので、ジェイさんセレブね、と言われてもそれは違います。5千円のベッドはそれなり、でしかありえません。新品で5千円のベッドに寝心地も何もありません。
アシスタントには話をして、結局彼は今の自分が買える中の最大限のベッド、を購入しました。彼にとってはとても贅沢だったそうです。でも届いて彼曰く大満足、だそうで。とてもとても嬉しそうで、また寝心地も抜群だそう。これからずっと引っ越しても持っていく、大事にするそうです。
そうなんです。
人って、安いものを雑に扱います。高いものは丁寧に扱う。大事にするんです。それが人。
僕はアシスタントに、ものを大事にすることを学んで欲しいのです。これからの時代、それはきっととても必要なこと。ものを大事に扱う人は人も大事に扱うからです。
別にセレブな暮らし方、を教える気はありません。
お金のない若い彼なりに、奮発して買ったそのベッドは、きっと彼に何かを教えたことでしょう。またインテリアにこだわるのが楽しい、と連日せっせとドライフラワーを飾ってみたり、ロールスクリーンを自分で取り付けてみたり、自分の部屋を作っています。それはすなわち、彼の人生を作ることに等しいのです。
インテリア、ってその「人なり」を表すものなのです。細部までこだわって欲しい。
断捨離しすぎてシンプルと言うか寂しくなった空間でひとときの開放感や断捨離の達成感を味わうのも結構ですが、そこに人が来るでしょうか。誰かとゆっくりくつろげる空間でしょうか。大きさは関係ないです。狭いうちでもくつろげますから。何より、自分が本当にその断捨離空間でくつろげますか?ソファもラグも全部捨て、ああスッキリと床に座ってパソコン広げて。毎日その部屋にウキウキしながら帰ってこれるのでしょうか。
狭くても綺麗に掃除して、時には花一輪でも飾りましょうか。
友達が来た時用にティーカップもちゃんと揃えましょうか。
変なシンプル思考は捨てて、自分の好きなものを少し飾ってみましょうか。
人なんか呼ばないから、自分のだけであと断捨離、してしまうとおそらく人生の何かも捨てています。
贅沢な料理は作れなくても、味噌汁のだしには少しこだわって、お味噌は美味しく作れるようにしましょうか。
着倒した服を部屋着用に溜め込むのはやめましょうか。みすぼらしさの極みです。
着倒した服は、感謝して燃えるゴミとして速やかにさよならを。間違っても着倒したものを寄付とかリサイクルなんて考えないでください。寄付するなら、いい服を。まだまだ着れるいい洋服は状態のいいうちに人様へリサイクル。
扉を開けてテンションが下がる場所があるなら、休日を利用して一気にそこは掃除する。
整理整頓は雑でもいいけど、開かずの扉はダメです。人生無駄にしてる。
自分が使える限られたスペースは、無駄にしてはいけません。
インテリアは、飾りたてるものでも人に見せるものでもありません。
自分が快適に暮らすためのものです。
自分自身を大切にするためのもの。
だから僕はあまり自分のこだわりインテリア、を公開はしてません。もちろん料理研究家ですから衣食住の提案は専門ですが「私の素敵な暮らし」提案型の料理研究家ではありません。でも提案しろと言われたらきっといい提案ができる自信があります。実際、アシスタントたちは僕が買うものにいつも驚いています。その値段に見えない、とかそうきたか、とか。僕は世界中で見てる物の量が違うのと、仕事で様々なプロデュースを手がけているのでものを選ぶのは当然プロです。
例えばレースカーテン(遮光カーテンはありません)は前のアトリエと窓の幅が違うため、全部同じものをまた買い直しになりましたが、タッセルが、貧弱な共布だったため、安っぽいから別に探して買いました。1本五百円程度のものですが、アシスタントたちはものすごい高級品に見える、と。ついでにレースカーテンもこのタッセルで高そうに見えると。部屋の雰囲気がタッセル一つでまた大きく高級感を増すことにとても驚いていました。本当にこれ500円?と。でも言わなければ数万円にも見せられるのです。それがこれ。
このことは、例えば僕のkami高麗やJ.avec toiの箱も同じこと。箱に全然お金をかけられないため、とても安い箱を使うしかないのですが、それでもお客様からは「高級」とかおしゃれと言っていただけていますが、僕たちは知恵を絞り色を金にしたり、デザインを工夫したりしてとにかく「高級にきちんと魅せる」ようにしてるのです。箱にお金かけなくてもいいからもっと安くして、とお声をいただくことがありますが、逆です。箱、全然お金がかかってなくて。むしろ他のメーカーさんの方がよっぽど箱にお金をかけてると思います。
インテリアは魅せるためのものじゃない。見栄を張るものでもない。
自分自身の心に魅せるもの。極めてプライベートです。だから皆自由でいいんです。
貧祖、にだけしなければ。
自分を雑に扱うようになってはいけません。
人は、高価なものを大事に扱うのです。実際の価格は実はさほど問題にはならないのですが。
僕は雑に扱われるような人に、誰も育って欲しくはありません。
「ジェイさんのインテリア見せて」は「ジェイさんをもっと見せて」に聞こえて僕は嬉しい。
「僕をもっと知りたい」と聞こえるからです。
インテリアは、その人なりを表すものです。コロナでうちにいる時間も長い今日この頃。
この機会に、自分らしく、少し本気でこだわってみましょうか。