腕時計が好きなわけ

僕が腕時計に惹かれるようになったのは、もう随分子供の頃からです。

子供の頃の記憶がほとんどない僕ですが、なぜか都合よく時計の話だけははっきり覚えてて。

おじいちゃんがペン習字の通信講座に申し込んだら、おまけで腕時計をもらったんですね。それを僕にくれると言って。忘れてなかなかくれないから自分でおじいちゃんの家に奪いに行きました。

当時は通販で何々を買ったら時計をプレゼント、っていうのが流行ってた時代です。

今思えば、景品法で定められてる割合でいうと、時計の原価って安かったのですね。大人になった気がして喜んでたその時計も三日で壊れました。

それがとても悔しくて。

大人になったら「自分で買ったるわ!」と思っていました。

そうなんです、腕時計って僕には大人の象徴だったわけで。早く大人になりたかった僕には、どうしても欲しかったのです。

仕事を始めた20数年前、民法のテレビに出初めて僕が買った時計はスポーツタイプのごつい腕時計でした。バブルなんてとっくに弾けたずっとあとだったのですが、高価やな、とは思ったものの、迷わず購入。でもそれは買って程なくカフェのトイレに置き忘れて、戻ってきませんでした。防水の時計だったのに、お店でテスターの日焼け止めを手に塗って、赤くなってきたために慌てて手を石鹸で洗うために、時計を外したのです。

あの時計をトイレで見つけた人は、おそらくびっくりしたと思います。そしてきっと質屋さんに持ち込んで本物とわかりさらにびっくりしたことでしょうああ残念。その時計は今も同じものが売られているのでまた買えなくはないのですが、腹たつので買ってませんぷぷ。

QVCでの仕事の際も、オンエアが食品だから時計を外してそのままスタジオのセットのテーブルに置いてきてしまい、慌ててクライアントさんが走って取りにスタジオに行ってくれたり。その時は無事戻ってきましたが、その時計も結局それからまたどこかに置いてきてしまいました。そのあとも別の時計も、ある案件に大慌てしていた際に無くしたのでしょう、qvcに着いて気がついたら僕の腕にはなかった。どこに置いたんじゃ??こんな自分にがっかりします。

一つのことに集中すると、他が見えなくなるんです。

何れにしても、昔は、腕時計は「大人の象徴」だったんです。でもそれが実際自分で仕事して、自分の足だけで立つようになって、もはや大人の象徴ではなくなり、その代わり今は、単純に「美しいもの」として好きなんです。あんな小さなものに、内部の複雑さはもちろん、人のクリエーションが詰まってる。

あの小さな中に、美しい世界を描けるのですから。デザイン一つでいろんなロマンを感じます。

パリに戻ると、お店のウインドーを片っ端から眺めて楽しんでいます。決してお店の中には入らないけど 笑笑 別に買わなくても、それぞれのブランドのクリエーションを見てるだけで楽しいのです。

僕は別に時計好きと言えど、「時計はジュエリーブランドや鞄屋さんが作ったものじゃなく、パテックやオーデマなど時計ブランドじゃないと」とか「クオーツなんて」とかのうんちくを語るような時計好きじゃ全然ありません。美しいものは、鞄屋ブランドが作ろうが、クオーツのムーブメントだろうが断然美しいのです。買わなくても見てるだけで幸せなんです。で、コロナ中はネットで色々みてる僕。この時計のシンプルな美しさに今日はやられています。公式サイトから写真失礼します。残念ながらステンレス時計は致命的に僕には似合わないのですが、いつか僕も男っぽくなったら(?)もしくはもっと年齢重ねたら?つけてみたいと思わせる品がよい美しい時計ですね。僕の旦那さんもいつかはこんな時計が似合うといいのに多分無理ぷぷ。

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ああ美しい。

子供の頃、大人の象徴だった腕時計。

気がついたら僕も十分すぎるくらい大人年齢になっていて。

 

僕の亡き父は、時計を持っていませんでした。

子供のために精一杯で。そんな余裕はなかったのです。

父が生きている時に、一つでも時計を贈れたらよかったのに。

 

時計を見るたび、父のことも思い出しますね。

呆れるほどお人好しで、正直者のいい父親でした。

この時計は父がよく似合ったことでしょう。残念。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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