少し、暮らしについて書こうと思います。
アシスタントに話したことなのですが。
若いアシスタントたちは、やはり夢と希望を持っています。でもどこかでその限界も自ら引いている感じがします。
僕は彼らの年齢の時は、この世は無限大の可能性だと思っていましたし、今もそう思っています。自分で自分の可能性に諦めや限界を作っておくのはもったいない。
それはそうと、アシスタントの彼らにいつも教えてるのは衣食住に関してたくさんたくさんあります。
衣食住、僕はそのどれも徹底的にこだわってる人間なので、伝えたいことがたくさん。
仕事のやり方を教えるよりもよほど大事だと思います。なぜなら衣食住はその人の人生そのものであり、またその人の人生を大きく左右するものだから。
お金のある人だけが素敵な暮らし、ができるわけではありません。それは違う。なぜなら、風水的な考えになりますが、環境が人を作る、と言うのは実際事実だと経験上、僕は思うからです。その人自身の素敵な暮らし、はお金があるからするものでもなく、素敵な暮らしは誰でもいつでも始められるから。その暮らしぶりが次のステップへと進む鍵になります。少しづつ、確実に暮らしの質を上げるのです。いきなり億万長者になるわけではないのですから。快適な暮らしを工夫する中でその環境がその人を作り、またさらなる上のステップへと導いてくれる、と言う表現になるでしょうか。グッチャグッチヤに散らかり、汚れの溜まった部屋に住みながら大きな成功を夢見るのはダメだと言うことです。そのぐちゃぐちゃの環境がそのままその人の人生になる可能性の方が高いのです。それくらい環境は人を作ります。
アシスタントには、部屋の広さや建物の新しさなどに関係なく「快適に暮らすための工夫をする」ことを教えています。
整理整頓、掃除、などは当たり前ですが、もっと具体的に「こう暮らしたい」を言うビジョンを強く持つように、またそれを部屋に反映させるようにするのが大事です。
どう暮らしたいのか、の自分にどんどん近づけて行くのです。
アシスタントたちには、白い紙を渡してこのワンルームマンションに、じゃあ、どうゆうふうに家具を配置するのか、書き込んでもらいます。僕も全く同じ条件でその紙実際に書いて、比較させます。
家具も何を置くのか自由です。条件は快適に暮らし、質の良い暮らしを招くような部屋にしろ、と言うこと。
書き上げて、僕のを見せると皆びっくりします。同じ広さ、同じ部屋で、こうも違うレイアウトができるんだ、と言うことを知るからです。
「同じ部屋を借りても、僕が住むのとジェイさんが住むのではこんなにも違うんだ」とびっくりしています。
そうなんです。同じ部屋でたとえ同じ家具でも置く場所が違うと部屋は全く別の空間に変わります。
全く別の人生になる、と言うこと。
アシスタントたちは大抵、壁部分に向かってベッドやチェスト、テレビなどを配置しています。
アシスタントたちはシンプルに暮らしたいから家具は最小という場合は多い。
僕は壁に沿うことを避け、また中央にソファを配置してくつろぐ空間とベッドをはっきり分けてしまいます。ワンルームでもメリハリを。
ソファやベッドは壁側に配置という固定観念に縛られたアシスタントたちは僕の配置図を見て納得。くつろげそう、とかこんな家に帰りたくなる、とか。
そうです。家はくつろげることがすごく大事。また僕はシンプルではなくすっきりと豊かに暮らしたい。
自分がどうゆう風に暮らしたいのか、徹底的に考えて欲しいと思います。そして実際に追求して欲しい。
洋服だってそう。自分がどうなりたいか、によって選ぶ洋服は変わるのです。
くつろげる、に関して。
ゆっくりお茶を飲める椅子やソファ、場所は必ず確保すること。
どんなに忙しい暮らしでも、一瞬止まってお茶をする、ことは僕には実際ものすごく大事です。次の仕事の切り替えや、また様々なアイディアもここから。
アシスタントにも、家に帰ってきてお茶してくつろげるようにすることの大切さはいつも伝えています。すぐベッドに寝っ転がってスマホいじってるような暮らしではなく、ちゃんと座ってお茶をする暮らしを選んで欲しい。その先の人生が間違いなく違うからです。
もし、コロナで家にこもっていてこの機会に断捨離、されてる方がいらしたらぜひご注意を。
捨てる行為はものすごい快感を伴うため、ストレス発散にもなりいいのですが、やりすぎて寂しい空間にすることだけはご注意を。雑誌や書籍が提案してる物のない暮らし、シンプル素敵、は実際は、よほどお金をかけて考え抜いてやらないとシンプルではなくそれは単に「寂しい」で終わります。
寂しい部屋に、豊かさや金運だの幸運はなかなか来てはくれないと思います。
書類とか、そのあたりをバッサリと断捨離、はぜひこの機会に。それらはどれだけ断捨離してもひもじくなることはありません。
雑誌や書籍で「シンプルな物のない暮らし」が素敵に見えるのはそのように素敵に見えるため写真やアングルを散々、工夫しています。
ただシンプルに暮らすのではなく、さらに豊かに暮らすこと。
そこを外さないで欲しいのです。豊かに暮らすために断捨離はありますが、それは単なるスタートに過ぎません。断捨離した暮らしがシンプルで素敵、で終わってはいけない。
シンプルは贅沢と同義語でなければいけない。僕のアシスタントには繰り返しそういい聞かせています。
若い彼らがいつかは幸せに、ではなく、いつも幸せでいて欲しいから。
向上心を持って、色々と楽しみにながら彼らの人生の豊かさ、を追求して行って欲しいところです。
暮らしの質を下げることは辛いこと。でも上げること、は楽しい。
それぞれがそれぞれのレベルで「上げる」ことを僕はいつも見守っています。
人生の演出は、結局彼ら自身でやるしかないのですから。
いつかテレビでも豊かに暮らすための僕なりの工夫をお伝えできればいいなと思うのですが、なさそうなので、これからブログで時々書きますね。
写真はパリの骨董品屋さんやらインテリア系の小さな店が並ぶ小さな脇道です。この椅子の元オーナーはきっとこんな暮らしをしていたのかな、とか考えるのがとても楽しい。またそれを作った職人さんの熱量を感じるのが嬉しい。ついでに言えば運が良ければ本物の家具が新品のイケアなんかより安い値段で買えるのも嬉しい。
ものは基本捨てないことです。大事に使って、必要なくなれば次の誰かに渡すこと。リサイクルが大事。次の誰かが喜んで欲しがるほどいいものじゃないとダメってことでもあります。古くなったらゴミになるのか、古くなってアンティークになるのか。僕はゴミになるような物を自分の暮らしに加えたくはないのです。
暮らしの質は普段自分が触れるものからすでに始まっているのですから。
僕自身も徹底的に今後もこだわって生きてゆきます。皆さんとそのこだわりを色々シェアできれば嬉しいです。