parisで始まったこと

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パリに住み始めた当時の写真です。この場所からほぼ徒歩3分のところに住んでいるのですが。

この頃僕は、どうしてもヨーロッパに帰りたいという思いが強かったので、迷うことなく決心しました。ただ日本のクライアントさんがついていたので日本で完全に仕事を止めることは許されませんでしたが。

振り返ってみれば、苦労はすごく多かったけれど、結局僕はとてもラッキーだったと思います。料理研究家としては。

デビューしてすぐに大手出版社の女性誌、男性誌での連載がいくつか始まり、TBSテレビの当時人気番組、はなまるマーケットにどんどん出させてもらえるようになり、本が次々と出版され、キリンや日立の冷蔵庫など大手企業の広告などへの出演も始まり。周りが止めるのも無視して(もしも優勝できなかったら、料理研究家として傷がつくと考えられたため)テレビ東京のテレビチャンピオンへの出演も受け、実際は審査員の方が「ボタンを押し間違えた」ということで、本当は僕がチャンピオンだったのですが、テレビ的には僕が準優勝、となったこともありました。今も覚えています。赤坂の中華の料理長の方が「ジェイくんの採点を押し間違えた」と収録中におっしゃって。カメラが止まり。制作側と話し合いに。その部分の収録が済んでしまっていたので形的には日本料理の料理長が優勝となっているのだけど、その審査委員の押し間違いを訂正したらすでに僕が優勝だった、ということになる。局側から、僕の優勝ということで、優勝シーンで、撮り直しますか?という提案も受けました。ただもう時間が夜中で、もう一度その部分をとり直すのは大変。僕は「いいです、別に準優勝で。優勝にこだわりはないです」と。

それで、オンエア的には現役の料理研究家が現役の日本料理長に負けた形になりました。

でも、テレビチャンピオンの恒例である優勝者が「テレビチャンピオン優勝者」として出す本は、テレビ局が真実を出版社に説明してくれたため、その優勝者ではなく、準優勝、という形になっていた僕の方に話が来て、学研さんから僕の本が出版されました。プロフィールにテレビチャンピオン準優勝者、となっていたので「あれ?なんで優勝者の本じゃないの?」と思った方も多かったと思いますが、実際はそのような理由からでした。その時の編集者に、ジェイさんはなぜ、優勝にこだわらなかったのかと聞かれました。僕は確か「賞金が50万だったから」と冗談で交わしましたが、実際は、なんでそんな優勝にこだわるんぢゃ、と思ってました。それに周りが心配したほど、僕の仕事に影響はなかった。マスに(マスコミ)出てる料理研究家が一般人に負けたら面目丸つぶれ、とか周りは心配してたけど。全然、ふふって感じ。

のちに、社会においては、優勝と準優勝、1位と2位では全く違う、ということがわかりましたが。

でもそれでも僕は、今も別に1位とか優勝を狙ってはいません。誰か他の人が欲しければどうぞ、という感じ。民放への出演の枠とりも、さっさと10年前に捨てた僕です。雑誌の仕事も受けるのもやめました。

デビューする前は、誰を押し倒してでも自分が欲しいものは欲しい、というタイプでしたが、デビューしてしまったら逆に、すぐにマイペースに。

今改めて考えると、やっぱり自信があったんだな、と思います。根拠のない、自信 。

10代から「自信とうぬぼれは売るほどあるけど?」って僕はよく言っていたので。

パリに暮らし始めた頃のこの写真を見てると、本当に自信に溢れてる自分が見えます。なんか、人として、余裕がある感じ。

で、問題がですね。

最近、僕この人としての余裕を若干忘れてないか?という感じがしていて。

ちょっとまた世界を周りたいなぁと。

いろんなものを見て、感じて、考えて、食べて。んで恋をして(ここは外さないふふ)

そうすると仕事に深みがまた出てくるんです。当然知識も経験も増えるから。

そこに余裕がないとね。

僕の商品には、僕の知識と経験、余裕が詰まってるから他にはない深みを出せるんだと僕のマネージャーが言うんです。

確かに。

知識と経験、人間としての余裕。

これはやっぱり、世界をみると振り幅が違うんさ。

ってことで、そろそろ次のパリに戻るためのフライトのチケットの手配に入りますー。

パリで始まった僕の新しい人生が今後どこでどう終わるのか、それはそれで楽しみで。

綺麗な終わり方ができるよう、頑張ろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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