どの国にいても

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どの国にいても、僕は僕で生きてゆく。

子供の頃、僕がよく言っていた言葉です。

多国籍は無国籍なんです。自分のアイデンティティーを国に属することができないと言うのは、実際僕のような立場の人間でないときっとわかりません。

簡単に言えば、何か海外であった時、どの国も助けてはくれないと言うことです。

そんな中僕が見つけた希望は、ある意味僕はとても「自由」であると言うことでした。そこに自分に対する「責任」を果たしてゆけば、生きて行けると、子供心に悟っていました。

その責任は、大げさなものじゃなく、今日雨風を心配することなく眠れる場所があり、3度の食事ができること。

ただ、それだけです。

人様の迷惑にならないように、自分のことは自分で。

ただそれだけ。

今日見たニュースでロンドンで偽物のホームレスが逮捕されたと。逮捕当時も現金7万円以上所持していながら、また家もあったそうですが、ホームレスのふりして道で物乞いをして暮らしていたそうです。

イギリス国民は最近、その手の偽物ホームレスが多いため、大変な問題になっていますが、それらはどの国でもあります。問題なのは、そのせいで「ホームレスを助けるのは無意味」みたいなことが広がってしまうこと。「どうせ嘘でしょ」「あげても酒に消えるだけ」フランスの人もパリで大抵そう言います。

僕はロンドンのニュースを聞いた時、「ホームレスじゃなかったんだ。よかった」と思いました。本当にホームレスだった方が、よほど問題だ思います。

お金をあげて騙された、と思う人もいるでしょう、ごもっともですが、僕はそれで自分が潰れるほどあげたわけじゃないので、それよりも本当にホームレスじゃなかったことが嬉しく感じてしまいます。

何が言いたいかと言うと、世の中で起こることは自分の見方次第で随分違うものになると言うこと。ものの見方が自分らしくなると、世の中の嫌なことがいやでなくなることもあります。

ものの見方を自分らしく(都合よく肯定的に)変え、自分を追い込まない、負担に感じないように仕向けると言うことです。

何かあっても僕はむしろ「チャンスかも」と思ってしまうのは、きっと子供の頃から培ってきた揺るぎない「僕は僕で生きてゆける」と言うところにある自信からだと思います。

人生何があっても、それをチャンスと捉えるか、いなかでその先の人生が変わります。

何があっても「むしろチャンスかも」と思う。

同級生の家に遊びに行けど「あの子は外国人だから、一緒に遊んじゃいけない」とか「あの子は日本人じゃないから、誕生会に呼んじゃダメ」とか。何度聞いたことでしょう。小さな子供だった僕は心無い大人たちの言葉にその度にとても傷つきました。幼い僕には「あの子は人間じゃないから」に聞こえました。トボトボ歩いて家路に。でもその時「むしろチャンスかも・・」

人生において先が見えず不安しかなかった小さな子供が見つけた、たった一つの守りの言葉。

僕を今も、支えています。

 

 

 

 

 

 

 

 

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