タトゥーについて思うこと

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ミザエルの背中には、僕の名前が僕の直筆の文字で彫られています。その下には7人の神様を表す文字を書きました。

彼が19歳の時に日本で入れたタトゥーです。最近は僕の弟がものすごい数のタトゥーを入れ始めました。ヨーロッパの文化では、日本のヤクザのイメージは全くなくて、男のオサレ、や精神的支えなので、僕はほっといてますが、どうもタトゥーというのは一度入れてしまうともっともっと彫りたくなるようです。僕は前にも書きましたが、素肌派なので、あまりにもタトゥーで素肌を隠してしまうのはすごくもったいないと思います。

さて、僕自身はタトゥーは絶対に入れませんが、自分の名前に、パベルと入れました。今は亡き友の名前です。J.ノリツグ パベル ホルスト と名前を書くたび、彼のことを思い出すように。また、二十歳そこそこでなくなってしまった彼が、僕と共に僕の人生を生きられるように。そうゆう意味では、僕は自分の名前にタトゥーを入れました。そしてそれは、とても大きな心の支え、にもなっています。

彼の背中のタトゥーは、僕がこの世を去った後も残ります。彼自身の時が来るまで残ります。それを覚悟で入れた彼の気持ちに報いるように、僕は懸命に生きています。

それから提案。日本では刺青、というから、怖いもの、と人々は認識し、また、その響きの威圧感を利用して入れる方もいるでしょう。だから呼ぶ名前を変えればいいのです。「入れ墨」「刺青」ではなく、墨を入れる、から発想し、例えば可愛らしい「愛情注入」にすればいい。「あの人刺青・・・」だからダメなんです。「あの人愛情注入してる!」とみんなが呼ぶようになれば、ね?ほら、刺青を威圧感が欲しくて入れる人がかっこ悪いと思い入れづらくなる。だって、刺青師ではなく、愛情注入師になるわけだけど、その愛情注入師に、「愛情注入してくれ」とお願いすることになるから!また銭湯プールでもでも「愛情注入お断り」と書くようになれば、だんだんその手の人が減り、そのうちハッピーな人の愛情注入が増えて、お断りの文字もなくなるでしょう?

フェイクファーを「フェイク」ファーと呼ぶとネガティブですが、今は「エコファー」と呼んだ途端にポジティブで人気に。同じことですね。同じものなのに、呼び名一つで変わるんです、人の印象って。

万引き、とゆるく呼ぶからいけない。略奪窃盗、とか言い方を変えたほうがいいと思います。万引きするな、じゃなくて、略奪窃盗するな、と。引いてませんから、盗んでるんですから。

僕にとってタトゥーは、まさに愛を刻むことなんです。

 

 

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