僕の名前の中のパベル

僕の名前がJ.ノリツグ パベル ホルスト になっていることについていくつかご質問をいただいたので、改めて説明させてください。実は以前、ブログに書かせていただいた内容ですが。過去のブログがもうすっかり消えたので、改めて。

僕の本当の名前、というか本名はジェイだけで、ノリツグというのは日本で学校に通う際などの通称名になり、数年前に日本の法律が代わり、通称名が使えなくなっているので、実際僕の公的書類からノリツグという名前は消えています。だからジェイ ホルスト、となるところですが、ノリツグというのは両親がつけてくれた名前なので、書類からは消え去っても、せめて芸名として残したいな、という気持ちがあり、そのままに。そして、パベル、という名前。

それは、20歳そこそこで亡くなってしまった僕のロシア人の親友の名前です。

僕がプラハに住んでいる時、その悲劇は起きました。パベルもずっと、プラハで住んでいました。プラハに戻ったら、毎日顔を合わせていました。一緒にたくさんの経験をして、たくさんの、夢を語り合いました。彼は繊細で、とてもとても優しい人間でした。もともとは僕の別のロシアの友達の親友だったので、プラハにアトリエを開く際、ジェイにぴったりだから、と紹介されたのがパベルでした。ユラの予想通り僕たちの相性はバッチリでした。彼はまだ学生で、でも観光ガイドの仕事をしていたりして、日々忙しく、でも楽しく過ごしていました。

その大好きなパベルの悲報を聞いた時、僕は崩れ落ちました。僕はその時、プラハにいたのです。毎日会っていたのに、運命はいたずらで、時に残酷。彼は僕を残して逝ってしまいました。

本当に息ができなくなるくらい、胸がえぐられるほど、悲しみました。でももう遅いと知りながら。

プラハのあの美しい町並みを、ゆっくりと朝日が照らし始め、凍えるように冷たくなった窓枠を温め始めた頃、彼はそっと、逝ってしまいました。彼は起きてこなかった。

20歳そこそこで、奪われた命です。その日から、彼は解剖のため警察に引き取られ、でも必死で彼を取り戻そうとロシアとチェコ両方の政府に掛け合ったり。彼のお母さんをロシアから呼んで、初めてパベルの優しいお母さんと会ったり。僕にはいばらのみちを素足で歩く方がマシだと思う日々が続きました。

警察は理由がわからないと言いなかなか返してくれず、ロシア大使館は役に立たず。そうこうしてるうちに日本での生放送オンエア出演のため、予定通り飛行機に乗らないといけない、と言われた時、僕は仕事をやめる時だと覚悟しました。このまま日本に戻れないと。

それでも結局、僕は泣きながら飛行機に飛び乗りました。僕が仕事をやめるなど、パベルが許すはずがない、そう思ったから。

日本に戻り、そのままホテルへ。誰にも辛い悲しみを言うわけにはいかず、素知らぬ顔でいつも通り生放送2本を歯を食いしばって笑顔でこなし、無事素晴らしい結果でその日2回のショーは終わりました。ありがとうございました、とスタッフさんやクライアントに挨拶をして、テレビ局を出た瞬間に涙が溢れ、泣きながらホテルに戻りました。

その時です。パベルの名前を、僕の名前にと思ったのは。そうすれば、僕は名前を書くたびに、パベルのことを思い出すのです。決して彼を忘れることはないでしょう。そしてまた、彼に、僕の人生を一緒に生きて欲しい、と思ったからです。僕がこれから経験する嬉しいこと楽しいこと、全てパベルとシェアしていこうと。パベルが僕と生きた証になる。だから、J.ノリツグ パベル ホルスト、となりました。

パベル。僕は君に会いたくてたまりません。今でも時々、どうしようもない悲しみが僕を襲います。どうしようもないやるせなさと後悔の念と共に、どうしようもない悲しみに襲われます。

そう、もうどうしようもないのです。

パベル。一つだけ今の僕にできることといえば、真っ直ぐに生きつづけること。僕の真っ直ぐな生き方を、君はいつも誰よりも最大限に評価してくれていたから。君は誰よりも、優しい人間でした。だから僕は君の与えてくれた優しさを、君が持っていたその優しさを、まっすぐに他の誰かに届けられるように、僕は君の名前と共に生きてゆく。君が僕の人生を、生きられるように。

クリスマスに彼と撮った写真です。皆さんも、パベルという素晴らしい人間がいたこと、覚えてもらえたらうれしいです。僕は彼に出会えて、本当に幸せでした。

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