皆さんは、もうこれがあれば他はいらない、と思うような「もの」を持っていらっしゃいますか?
時計とか、バッグとか、色々アイテムとしては考えられますが。
僕は、家具です。あとkami高麗 笑笑
僕は、家具にすごくこだわりがあって。イケアとかの古くなったら粗大ゴミ、とかは嫌なんです。古くなったらアンティーク、になる家具が好きで。傷ついて汚くなるイケアじゃなくて、傷ついてもそれが味になるような、職人が100年以上持つことを前提に作った家具。また、一人の職人が何年もかけて織ったシルクの光沢の美しいペルシア絨毯、など、ピカソの絵は買えないけど、自分が買える範囲でそれと同等の喜びを与えてくれるかつ、実用的なもの。
それが僕にとっての家具です。
うちの家具はもう何十年も前に買ったものですが、引っ越してもそのまま総移動しています。賃貸のアトリエなので、マンションの雰囲気は変わっても、家具は変わりません。本物、であるからでしょうか、どんなテイストの部屋でも違和感なく溶け込むというのもやっはりすごいと思います。また、それらの家具に十分満足しているため、全く他の家具が欲しいとも思わないのです。これって、もちろん最初買うときはそれなりの値段がしますが、なんども家具を買い換えるよりも実はよほど経済的でもあります。
時計もそうですね。どうせだったら最初に自分が一番欲しいものを買ってしまえばいい。そうじゃないと、やっぱりあっちがよかったな、ということになって結局後からそっちを買う羽目に。
足るを知る、ためにも妥協しないこと。
真剣にものと向き合ってると、それはそのままその人の人生と向き合うことになります。
妥協しないその姿勢は、そのまま人間関係や、日々の暮らしの様々な部分で生きてくるからです。
日々は小さな選択の連続でできています。なんとなく過ごすのと、こだわりを持って楽しく暮らすのでは人生の価値が違ってくるとさえ思います。
よりよい人生はどうすればいいかとか、成功するには、とか成功者は語る、みたいなことを延々インスタやらYouTubeやらでどや顔で語っている大人たちがいますが、僕は見ていてただこっちが恥ずかしくなります。
その程度で自分を成功者だと言ってることもある意味すごいですが、その類の人の話を真に受けてる人がそんなにいるのもすごい。
成功したいなら、日々の選択を間違えないこと。簡単なことだけど、それに尽きると思います。
テクニックだのコツだのを、散々引っ張って話した上に、最終の答えを知りたい方はコメント欄に書いておきます、とかって・・・・。器ちっちゃい。何フォロワー稼ぎ?そんなドヤ顔でいうなら最後まで動画で言えよ。何が答えはコメント欄に、だよ馬鹿たれ。そこでコメント欄にいくのか、無視してさっさと他の人の動画に行くのか、それも選択です。
間違ったら、すぐ修正することも大事。そんなどこの誰かもわからぬ人の言葉を信じて修正することすらしないと泥舟は沈みます。
ものと向き合う時って、自分になります。私はこれが好き、嫌い、と。あの人が好きって言ったからとか、世間で人気があるからとか、そんなことを基準に選んでいたら、終わりがないです。次々と新しいものが気になってしまう。
選択の基準は、自分がそれが本当に好きか、なんです。
自分の好きを徹底的にこだわって生きてたらあれ幸せだった、という話。
幸せな暮らしやその形があらかじめ用意されてるわけではありません。
以前、ネットで、初めてのデートがイオンモールってどうよ?というのがありました。
30歳にもなって、イオンモールデートって引くわ、というご意見。一方で、なんでもあって便利でいいじゃん。とか、好きな相手とならどこでもいい、という意見も。
面白いなと思いました。同じイオンモールでも、その人の見方ひとつでここまで違うんだと。
日々の暮らしをどの角度から見るのか、でその人の幸福度も変わるということです。できるだけいい面にフォーカスできる人でありたいと思いました。
話を戻すと、これがあればもう他はいらない。
それらを手に入れる喜びと、所有する喜び、使う喜び。
喜びの数を一つづつ増やしてゆくと、少なくとも暮らしの満足度は高まります。
そう、僕は自分の人生に満足したいのだと思います。
だから人任せにしないで、自分で演出する。
自分の人生は、僕が自分でプロデュースします。
どんな自分になる?どんな暮らしをする?
真剣にものと向き合うことは、そのまま自分の人生と向き合うこと。
真剣に向き合った結果、多少妥協することがあってもいいんです。
要はその姿勢とプロセスが大事。人は学びながら強くなります。
僕は自分の人生が終わる時、「みなさんさよなら!ありがとうございました!」でいきたいんです。
J.ノリツグという人を十分に全うして旅立ちたい。
残された僕が選んで人生を共にした「もの」たちは、そのもの自体が僕のことを語ることでしょう。
それらのものは、きっと誰かが喜んで引き取って大切に使ってくれることもあるでしょう。
それが本来のサブスクだの、エコだのだ、と思うのです。
最近流行りなので、企業がポーズで提案してるエコだのサブスクだの、僕には1ミリも響きません。
自分にとって必要なものを必要な量だけ。その代わりそこには妥協しない。
シンプルだけど、それこそが本当のエコに繋がると僕は思うのです。
世界的にも一人一人が、そうやって向き合ってゆくことが必要な時代になったと思います。
手遅れになる前に。
今なら、きっと間に合うから。
人も物も、なんでも大量生産大量消費、の時代は終わるのです。
本物だけが、残ってゆけることでしょう。また足るを知るためにも、本物を選んでくださいね。
