僕の理想と、現実と

March 23rd, 2016

なんか、日本では経歴詐称とかが話題になっていますね。コンプレックスが、そうさせたそうです。

僕の場合の、コンプレックスは、昔から一貫しており(?)細くて、色が白くて、女の子みたい、ということでした。

すごくそれが嫌で、髪を超短くして、大きめのサイズの服を着たりしてという時期もありました。が、どうしてもそれがコメディにしか見えなかった。

でもこの仕事を始めて、僕はそのコンプレックスを、逆手に取りました。何に置いても、取りまくりました。今までの復讐というか、鬱憤ををはらすかのように。それが皮肉な事に、大きく成果を生み、現在に至ります。

コンプレックスを認めたときに、人は強くなる、というのはまんざらでもないように思います。

日本で仕事で逆手に取るだけでなく、僕は海外ではほぼ、100パーセント女性だと思われます。パリに帰っても、皆、お店だろうが道ばただろうが、僕をボンジュール、マダム!またはボンジュールマドモアゼル!と声をかけてきます。男性にはボンジュール ムッシュー、なはずなのですが。僕が空港の男性トイレに入ると、みな慌てます。つまり、僕を男性と認識してないということ。僕はこれも、逆手にとります。男性が、さっとドアを開けてくれたり、お店でいい席をくれたり、ウインクしてくれたりと(ははは)超優しく接してくれることが多いので、むしろ得じゃん、と割り切り、言葉を話さず(話すとばれる)にっこりと微笑んで、対応します。ストレートの男性には、大人気です。逆に、パリにあまたいるゲイの子たちには、僕は嫌われます。徹底的に、敵視されているのがありありで、時に嫌がらせされます。でも僕はもう、気にしない。

僕の友達は、僕とは真逆で皆、男らしいタイプです。僕の周りには常に彼らがいるから、たぶん、そうゆうのがゲイの子たちの癇に障る、のかもしれません。

でも男らしさって、見た目マッチョなことでは全然、ないと思っています。

僕よりずっとマッチョな友達たちが、世界で一番中身が男らしい男と言われたら絶対ジェイだ、とよく言います。正直僕もそう思う。

僕がここで何が言いたいか、というと、人は見かけではないけど、見かけも大事、だけど見かけで判断はできない、という極めて逆説なことをあわせてお伝えしたいと思ったから。

要は見かけじゃない、と言われるその見かけを味方につけることも、また見かけだけじゃない、という感覚を持つ事も、両方同じように正しく、また大事だということです。

コンプレックスは、別の言葉では個性、だと僕は最近、解釈しています。

女の子みたい。男性が好きなんじゃないの?

人にどう思われても、何を言われても、気にしない。僕はその強さだけは、人一倍どころか、人十倍だったようです。

その人たちは、僕がそのおかげで得たものも、また、実はまんまと逆手に取っていることを、全く知らないのですから。

また、別に女の子が男の子みたいに見えても、男の子が女の子みたいに見えても、本人が自分を生んでくれた両親に感謝していれば、人がとやかくジャッジすることではないと思います。女の子に見えて、なんか悪い?くらいにしか僕はもう、思っていません。

 

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